11月6日。残された気持ち


知り合いの方にも、ネットで拝見するだけのおうちでも、多頭飼いさんがとてもたくさんおられます。
うちもにゃんこに関しては多頭飼いですね。
たくさんのにゃんこと暮らしたかったわけじゃなくて、ほっとけないっ!ってにゃんこをどんどん目にして、結果こんなことに。
家族に迎えてみれば、どの子も独自のかわいさがあって、多頭飼いになったことを後悔なんてしてなくて、それはそれでとても幸せですが、私は基本、一人っ子派なんです。

ノーマが7歳くらいのとき、とあるドッグカフェによく行くようになり、そこで知り合った人たちにノーマだけじゃなくて次の子を迎えるべきだとよく言われました。
理由はワタシとまさのすけがペットロスに陥るタイプだから(^^;)
それを防ぐために次の子がいた方がいいよ?って言われました。

ペットロス・・・それはまぎれもなく私とまさのすけはなることでしょう。
でも、ワタシは基本、一人っ子がいいのです。

なぜか?
それはその子に力いっ~~~~~~ぱいのことをしてあげられるからです。
全力投球(?)しないと気がすまないので、多頭飼いではそれができないと思うからです。

例えば、一人の子が何かして欲しがってるとする。
それは出来うる限りその要求にワタシは応えたい(社会の迷惑にならない範囲で)
だけどもう一人の子が病気だったりするとそれに応えている時間と人力がない。
ワタシはそれがすごくいやなのです。
きっと世間一般的には「しょうがないじゃない」と言われることでも、私はすっごいいやなんですね。
期待には応える。
それも全力でなければいや。

以前、とあるドッグカフェでうちがにゃんこを11匹も飼っていて、ゴルもいる、ってことをびっくりしてたおじーちゃんがいました。
その方はわんにゃんにはあまり興味なし。普通の人(^^;)です。

そしてその普通の人であるおじーちゃんは私たちを見て、「余裕がありますねんなあ~」とつくづくと言われたのでした。

いやいや(^^;)違いますがな。余裕があるんじゃなくて、他の一切のものを犠牲にしてわんにゃんと暮らしているんですがな。と言いたかったけれど、知らない人なので、議論になるのも面倒だし、そのままにしていました。
このおじーちゃん、そんなに生活が苦しいんだろうか??と失礼にもちらと思ったりして。
そしたら、そのおじーちゃんは駅前に駐車場を持っていて、固定資産税だけで500万円払ってるということを聞いて、

「ああああ?」と思ったのでした。

つまり、このおじーちゃんには500万円の固定資産税を払うほどの収入はあっても、わんにゃんに支出するお金はかなーり無駄なもので、ありえん、ということだったわけですね。

おじーちゃん。
誤解してはイケマセンよ。
わんにゃんを愛する人たちは全力で、命削って愛しているのデスよ。
「余力」で飼ってるわけではござんせん。

ま。中には余力でわんにゃんと暮らしてる人もおいででしょうが。
うちは全力でわんにゃんと暮らしております。
ええ、老後の蓄えなんかできねーでござーます(涙)
金銭面でだけではなくて、時間もほぼ全てわんにゃんのために使う。
生活の全てがわんにゃんのために。
車は主にノーマの福利厚生のために存在し、住宅ローンもノーマとにゃんこ隊の生存のためにお支払いし。

そうそう。昔、近所のスーパーでアルカリイオン水を汲んでいました(カードがあれば無料でいただけるお水)
近所の方が「そのお水、おいしい?」と尋ねられましたが、
「わかりません。うちではノーマとにゃんこが飲んでるだけで私とダンナは水道水なので」と言うと、
「ノーマちゃんちらしいわ~^^」って笑って言われたのでした。

全力。全力疾走。
わんにゃんを愛することは私的には「余力を残して」というのはありえないこと。
ま。バカですよね。人としては。
自分でもそう思うんですが、全力を尽くさないとそれは私にとって「大切にしていない」も同然なので、どうしようもないことなのです。

ノーマに関してはほぼ全力で尽くして(笑)いますが、ノーマに全力投球してるってことは他に余力があまりないってことで。
ニャーニャについて大きな後悔があるのはこの点でもあります。
ニャーニャが膝に乗ってるのに、ノーマが発作が出そうで起き上がろうとしていたら、ニャーニャを「ちょっとどいてな」ってどけてたこととか、しょうがなかったとはいえ、私にはとてつもなく悔やまれます。

どうしてノーマに全力投球していたか?というと、それはやはり寿命がノーマは短いと思っていたから。
ゴルの平均寿命は短いし、ガンの罹患率も高いし。
おまけにノーマはニャーニャより4歳も年上だし。
どう考えてもノーマがニャーニャより先に逝くものだと思っていました。
なので、ノーマ大好きニャーニャは、ノーマが逝ってしまったらどうするだろうかと心配していたくらいでした。

多頭飼いを否定していたもうひとつの理由は、いつかはやってくるお別れのとき。
そのときに残された子が寂しい、悲しい思いをするんじゃないか?という点と、
ワタシが残された子を見て、逝ってしまった子のことを考えてしまうんではないか?
残された子を雑念なしに存分に愛することができるのか?というワタシ自身の心のあり方にとても不安があったからでした。

ニャーニャが逝ったあと、他のにゃんこたちがどうしているかというと、
ごく普通に見えます。

若干以前と違う?と思うのは、以前より甘えんぼになりました。(寒くなったからか?)

ごはんのときにニャーニャはそれはそれは大声を出してごはんを要求していたのですが、(最近はその声もやや小さくなっていた。年齢のせいなのか、それとも既に調子が悪かったのか・・・)
そのニャーニャがいなくなったら、今までごはんのときに台所まで来てアピったことのないあちゅ坊やパッチ君がアピってたりして。何でだろうな~?と思います。
でも、にゃんこ隊が普通にしていてくれてほっとしています。
本当はいろいろ感じてることもあるかもしれませんが、ごはんも食べてるし、しおしおにもなっていないし(^^;)
その点は彼らが猫だからなんでしょうし、
また、ニャーニャがいなくなって、にゃんこでは自分がひとり、ということになってないほどの多頭飼いだからなのでしょう。

家族が悲しんでる姿を見るのは切ないですから、にゃんこがみんな普通にしてくれていて、私は救われています。

そして、他の子を見て、ニャーニャを思わないか?
という自分の気持ちへの懸念の方は・・・

大丈夫でした。

ニャーニャはニャーニャ。
しまたはしまた。クロチはクロチ。テンちゃんはテンちゃん。・・・・
どうしてこの子が元気なのに、ニャーニャが・・・とは思いませんでした。

昔、中学から大学にかけて、実家で飼っていたシェルティがいました。
その子が亡くなったとき、ワタシはそれはそれは荒れて(^^;)
もう世界中が無くなってしまったらいい、世の中の生き物全て死んでしまえばいいんだとまで思い、他のワンコも一切見ることができなくなりました。
3年ほど続きましたですかねえ・・その状態が。
そんな経験をしたワタシなので、今回、大丈夫か?と自分のことを不安に思っていたのですが、
あれから私も歳を取って、なんとか穏やかに大人になった部分もあったとみえて、そんなどす黒い気持ちにはなりませんでした。
そして、世界中のわんにゃんの健康と幸せを素直に願えています。
人間って年とともに変わるもんなのですねえ・・・・
心の狭さは変わらないのかと思っていました。

近所にニャーニャと同い年のにゃんこさんがいます。
ニャーニャがうちに来た1週間後くらいに近所で雨の中ないていました。
うちはもう猫がいるから助けられない~(>_<)
と思っていたら、ご近所の方が保護して下さって、うちと同様、最初は「保護しただけ」のつもりだったのに、貰い手が見つからず、そのままそこのお宅の子になっています。
猫ドアもつけてもらって、いつもかわいい首輪をしていて、可愛がってもらっているので、その子を見ると、私は嬉しい気持ちになります。

そのご近所のニャーニャと同い年のにゃんこさんが昨日、そのお宅の前にいました。
e0142430_1113381.jpg


チャーちゃ~ん!と声をかけると、うに~んと返事をして寄って来てくれます(^^)
チャーちゃんに「うちのニャーニャね、逝ってしまったんよ」と言うと「ん」と返事をしてくれました。(偶然でしょうが)
チャーちゃんは長生きしてね。病気とか怪我とかしたらあかんねんよ~と言いながらぐりぐり撫で回しました。
ニャーニャの幼馴染、チャーちゃんを見て、悲しくならず、嫉妬せず、穏やかにチャーちゃんの健康と幸せを願えたことにほっとしました。
ただひとつ、思ったことは、こうしてニャーニャと同い年の子を見ると、やっぱりこの年齢はまだ若いよね。若くで逝かせてしまった・・・という自責の念だけでした。
私も20年以上経って、ちょっとは人として成長していた(?)ことに安堵しています(^^;)



「次の子がいたらペットロスにならずに済む」説も私は反対してました。
そんなわけない。他の子が代わりになるはずがない!
というのが私の持論でして。

ところが、それは世間の方が言われるように一理あったようです。

ニーナちゃんやミーア、テンちゃんたちが膝に乗ってきて、甘えた声でないてくれたり、喉をゴロゴロ鳴らしてくれたりして、ほかほかの身体を寄せてくれるととても癒されます。
ニャーニャを思い出すのではなく、その子のかわいさに心がほっこりするようです。

他の子では代わりになどならない。
だけど他の子は他の子でかわいいんだ・・・
と頭では分かっていたけれど、今回、実感しました。

代わりにはならないけれど、愛する対象があることに救われる
そんな感じでしょうか。

ただ、ニャーニャを失った悲しさはノーマでなく、他のにゃんこたちに救われています。
やはりワンコはワンコで。
にゃんこはにゃんこで。
ということなのか・・・?と思っています。
by nomanyan | 2010-11-07 10:54 | お世話係のつぶやき


15歳8ヶ月でお空に旅立ったゴールデンレトリバーのノーマとノーマを大好きだったにゃんこたち


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